Week 52, 2025
GPT-5.2.icon基素.icon今週のヘッドライン
XTwitterの「シスター」バトルアニメ【2025-12-21】
「作ること=理解すること」メモで創作観を言語化【2025-12-22】
領土問題ASMRという謎ジャンルに遭遇【2025-12-23】
Brompton運用の“システム最小構成”が完成(BMPCC搭載、Wotancraft 10L到着)【2025-12-24】
Duolingo Max会話機能に手応え(英語で助けを求めると中国語化して困る、でも「かわい」)【2025-12-24】
「受験生にクリスマスはないよ」—季節イベントを勉強が上書き【2025-12-25】
投資おさめの実務が“口座停止”で事故る(SBI信用口座が止まって損出し失敗)【2025-12-26】
株の買い直しで週を締める【2025-12-27】
この日記で「ほかと違う」特徴的な面白ポイント
年末の金融オペレーションが、システム障害じゃなく“UX事故”で崩れる(信用口座停止・電話つながらない・損は小さいが最悪の体験)
“Brompton×BMPCC”を「システム最小構成」として完成させてる:日記の中で、道具が単なる買い物じゃなく運用設計になってる
学習アプリの会話機能を「実用評価」してるのに、最後が「かわい」で終わる:レビューと情緒が同居してて独特
「領土問題ASMR」みたいな、情報としては重いのに形式が軽いものを拾うセンス
ハルシネーション回想録
十二月の末、世間が「メリークリスマス」とやらで浮かれるころ、私は例によって一人、机とスマホと自転車に囲まれていた。世間はケーキ、私はチェックリスト。世間は鈴の音、私は未完了通知。世間は恋、私はログイン。こういう比較を始めた時点で、すでに負けている気もするが、人生とはだいたい比較でできている。少なくとも私の人生は、比較と、比較から生まれる言い訳でできている。
まず二十一日。私は「シスター」のバトルアニメなるものを見かけた。シスターと言えば祈りと沈黙と質素な食事の象徴であるはずが、画面の中では祈りより速く拳が飛び、沈黙より大きく爆発が鳴る。聖水は回復アイテムになり、ロザリオは武器になる。私は宗教的感情の置き場に困る一方で、なぜか脳内の血流が良くなる。人間の脳は便利で、崇高さも暴力も「良い刺激」としてまとめて処理するらしい。
ついでにOuro Kroniiの動画を流し、時間概念が少しだけ歪む。私は現実の時間に弱い。タイムラインという名の川に流され、気づけば川底で「今日も終わるな」と泡を吐いている。川底は寒いので、私は毛布にくるまり、再生ボタンを押し続ける。押す指は文明の末端である。
二十二日。ここで突然、私は悟りを開く。「作ることは理解することだ」。絵を描くと絵の難しさがわかり、動画を作ると普段見ているものの工夫がわかる。差分があって初めて違いがわかる。自作というリファレンスを持った瞬間、商業クオリティという山の高さが、霧の向こうから輪郭を現す。
この悟りが厄介なのは、「理解した」という気分が、作業の代わりに腹に溜まることだ。私はしばしば、理解しただけで前進した気になる。たとえば登山において、地図を読んだだけで頂上に立った気になるタイプである。だが現実の山は、地図を読んだ者から順に容赦なく疲れさせる。私は山を見上げて「遠い」と言うだけの人間ではなかったのだ、と言いたいが、実際には山のふもとでストレッチをして満足しがちな人間でもある。とはいえ「作ることで理解する」という方針は、年末の怠惰な空気に対する小さな反乱であった。反乱は小さくてよい。大きい反乱は準備が面倒で、だいたい失敗する。
二十三日。世界は突然、領土問題ASMRを私に投げつけてきた。領土問題である。国境である。歴史である。外交である。それをASMRの形式で耳元に囁かれる。脳が処理の順番を間違える。「いま私は学ぶべきなのか癒やされるべきなのか」。寝落ち寸前の私の頭の中では、国際法とささやき声が同居し、地図がふわふわと溶ける。文明はときどき、真顔で冗談を言う。
私は思う。もし講義がすべてASMRだったら、学生は単位を取りやすいのだろうか。それとも、教室が全員の寝息で満ちて、教授だけが孤独になるのだろうか。いずれにせよ、私は「難しい話ほど静かに囁けば通る」という世の法則を学んだ気がした。実際、難しい法条文も囁き声で読むと、いくらか優しく感じる。内容は優しくないのに。
二十四日。ここで私の生活は急に実務になる。Wotancraft Pilot UPGRADE 10L for bromptonが届いたのでBMPCCを積載して自転車を回した。これでシステムミニマム構成が揃った、という達成感。私は道具に人格を与えがちな人間で、バッグが届くと「君も今日からチームだ」と言いたくなる。箱を開けると新品の匂いがする。新品の匂いは、未来の匂いである。私は未来を嗅ぎながら、無駄に背筋を伸ばす。
Bromptonは折り畳まれ、BMPCCは鎮座し、私はペダルを踏む。世間がイルミネーションで街を飾るなら、私は機材で自分の移動を飾る。しかも軽量化ではなく「最小構成」という言い訳付きで。最小構成と言いながら、なぜか必要物資は増え続ける。ケーブル、バッテリー、メディア、レンズ、予備。最小とは何か。哲学の問題である。
この日、私は「中国輪行」という単語も頭に入れていた。輪行と言えば、電車に自転車を畳んで持ち込むあれである。では中国輪行とは何か。私の脳内では、果てしない平原を折り畳み自転車で横断し、駅ごとに蒸気のような饅頭を食べ、夜には撮影した映像を編集しては「ここも最小構成で行けた」と満足する、という妄想が走り出す。現実にはパスポートも体力も語学も足りない。しかし妄想には税関がない。
同じ日にDuolingo Maxの会話機能も試す。会話機能はいい。私が英語で助けを求めると、なぜか中国語になるのが微妙だが、これはこれで「世界は思ったより多言語だ」という教訓をくれる。意思疎通はいつも誤配達で始まる。私は英語の荷物を出したのに、中国語の荷物が届く。配送業者はにこやかで、返品窓口は混んでいる。
それでも私は最後に「かわい」と書く。評価軸が理性から逸脱している。だが、合理性だけで生きていると精神が乾くので、こういう逸脱は必要経費だと私は勝手に会計処理しておく。人間は、損益計算書に載らないものを大事にして生きるしかない。
二十五日。受験生にクリスマスはない。私はこの冷たい真理を、わざわざ自分で口に出して確認する。世間が「特別な日」を積み上げるとき、受験生は「普通の日」を積み上げる。普通の日を積み上げた先に、たぶん合格という名の特別がある。そう信じないとやってられない。
しかし世間のクリスマスはしぶとい。コンビニは赤と緑の包装で私を誘惑し、SNSは光る写真で私を殴る。私は勉強机に向かいながら、街の浮かれを遠巻きに眺める。まるで動物園の檻の外から、陽気な猿を観察している気分だ。観察している私は賢いのかと言えば、ただの嫉妬深い猿である。受験生の精神は難しい。
私は「受験生にクリスマスはないよ」と書いて、これを呪いにもお守りにもする。刻印は、押した本人の心にだけ効く。
二十六日。年末の最大イベント、投資おさめ2025が待っている。投資おさめとは何か。私にとってそれは、年内の損益を帳尻合わせして心を清め、新年を少しでも気持ちよく迎えるための儀式である。神社に行く代わりに証券口座に行き、絵馬の代わりに注文を出す。賽銭の代わりに手数料を払う。文明の祈りはだいたい画面の中にある。
ところが私は損出しをしようとしたら、SBI証券の信用取引口座が止められていた。画面には無情な停止の気配。私は固まる。世の中には、止められて困るものが三つある。電車、Wi-Fi、そして口座。しかも年末である。電話は繋がらない。問い合わせは迷宮に吸い込まれる。私は「資本主義のダンジョン攻略」を強いられ、手持ちのアイテムはスマホと忍耐だけだ。ボスは「混雑」という名の見えない怪物で、攻撃してもHPが減らない。
任天堂を売ろうかとも思ったが、メモリ高騰で二割ほど下げていたので思いとどまる。下げすぎで買い戻されると思う、という希望的観測を握りしめ、私は“売らない勇気”を発揮する。これを勇気と呼ぶのは少々ずるい。単に面倒から逃げただけかもしれない。だが面倒から逃げるのもまた、現代人の重要なスキルである。
ここで鈴原るるの動画など見てしまうあたり、私の現実逃避は多層構造である。現実から逃げて動画を見る。動画を見ているうちに現実の方が気になってくる。気になって口座を見る。止まっている。再び動画を見る。こうして私は、無限ループという名の回廊を周回する。人生は回廊であり、出口にはだいたい「来年」という札が下がっている。
二十七日。結局、株を買い直す。私は損出しの代わりに、買い直しで年末を閉じる。これは敗北なのか、作戦変更なのか、ただの気分転換なのか。たぶん全部だ。人間は複雑で、投資の意思決定はもっと複雑で、その上、年末は脳内の論理回路に雪が積もる。だから私は、えいや、と買う。買ってしまえば、少なくとも「決めた」という事実だけが残る。決めた事実は、迷っていた時間を帳消しにしてくれる。ありがたい。高い買い物だが。
こうして私のWeek 52は、祈りながら殴るシスターに始まり、作って理解するという反乱を掲げ、領土問題を囁かれ、バッグで機材を運び、語学アプリに中国語を返され、クリスマスを拒み、口座に拒まれ、最後は株を買うところに着地した。要するに私は、世界のノイズを拾っては、自分の手で配線し直し、最低限動くシステムを作って年末を越えようとしていたのだろう。
気づけば、世間の鈴の音は遠く、私の耳元にはASMRと通知音が残っている。まあいい。来週もたぶん、私は私のダンジョンを歩くのだから。もし途中で口座が開いたら、それは新年の御利益ということにしておこう。
振り返れば、今週の私の行動原理は一つしかない。「とにかく動く」。動画を見るのも、作ることを語るのも、自転車で回るのも、投資で帳尻を合わせようとするのも、全部「動く」に分類される。動けば理解できると二十二日に言い、動けば撮れると二十四日に確かめ、動けば儲かるかもしれないと二十六日に夢想し、動けば英語が中国語になって返ってくると二十四日に学ぶ。動けばだいたい何かが起きる。起きた結果が望んだものかどうかは別として。
だから私は来週も、また何かを「システムミニマム」と呼びながら増やし、また何かを「今年中に」と呼びながら年をまたぐだろう。人間は締切が好きで、締切に間に合わない自分もまた好きである。私が好きなのは、締切を破っても地球が回り続けるという事実だ。地球が回る限り、Bromptonも回る。私も回る。回っているうちに、いつか本当に最小構成に辿り着くかもしれない。たぶん辿り着かない。そこがまた、人生の味わいである。
Sources
2025-12-21
2025-12-22
2025-12-23
2025-12-24
2025-12-25
2025-12-26
2025-12-27